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日記 638  神様なお客様

2013年08月26日 01:33

おかげさまで2-4突破いたしました。
なんちて。

20130826-1

先日、「アカギ」の単行本最新刊を読みました。
連載の方では、

あっ、ネタバレしますよ。

血を抜かれ意識を失った鷲頭が地獄に落ち、
そこにいた亡者どもを率いて地獄の鬼と戦うという意味不明の展開。
鬼に勝利し、あぁ、やっと終わりかと思ったら、閻魔様が出てきて
まだ続くんかいっ!という、読んでるこっちが無間地獄に落ちるかのようなお話なのですが
単行本はその直前、
連載のそのあたりを読み逃しているので、振り込んだのかツモられたのか私わかりませんが
アカギが鷲頭を追い詰め、アガる、その直前ですね。
鷲頭地獄編は正直つまらないです。
なにを寄り道してるんだ、早く決着つけろよ、麻雀でっ!、という想いしか抱かないイライラする展開です。
悪評もあちこちで聞きます。至極もっともです。
で、どうせそこに至る麻雀の経緯もつまらないんじゃねえの?と思いながら単行本を読んだわけですが
ところがこれがね、結構面白かったんですよ。
このあとあの地獄みたいな地獄編が始まっちゃうのが、にわかには信じがたいぐらいのレベル。
それでまぁ、
余計にその後の展開、鷲頭地獄編をなぜ始めちゃったのか、疑問に感じてしまったわけです。

ネットなんかではよく、これは「引き伸ばし」なんだといわれます。
確かに、鷲頭麻雀編は長い。まぁ~長い。
展開が遅いことで有名な福本漫画の中でも群を抜いて遅い、だもんで当然長い。
以前このブログでアカギを評して「一話一ツモ」なんて書いたが、全然大袈裟じゃなくてそのくらい。
でもしかし、これが、作者が意図的に話を薄めて伸ばして話数を稼ごうとしてる「引き伸ばし」だっ!
っと言うのは、私には少し抵抗があります。

そもそも、この「引き伸ばし」というものの存在自体、私はちょっと懐疑的だったりします。
人気がなければ、或いは、最初は人気があっても無くなれば即打ち切り、な漫画界において
話を薄めて引き伸ばそう、細く長く続けて金を稼ごう
なんていう、せこい考えがまかり通るものなのでしょうか。
漫画家たるもの、面白さについて、漫画の質について、それに伴う人気や評判、売り上げに対しては
素人の僕らなんかよりも、もっとシビアな考えで漫画に向き合っているのではないでしょうか。
何が言いたいかっちゅうと
僕らが引き伸ばしだと感じているものの実態は、まったく別の思惑で作られたものではないかということ、です。

ひじょうに前置きが長くなってしまいましたが
今日はこの「引き伸ばし」について考えてみたい。
というか、引き延ばしではなくて実はこういう事なんじゃないか、という私の偏見を書いていきたい。

1、愛が溢れ過ぎちゃってる型
 キャラや物語への、ちょっと強迫観念的とも言える愛情が話を長引かせてしまう。
 「うしおととら」なんかがこれに当てはまる。
 ほんの端役まで掘り下げちゃったり見せ場を作ったりでどんどん話が長くなる。
 「4月のライオン」もキャラに対する愛情が深くてやばいが、
 今のところは1話2話で収めてくれてるので増長しなくてすんでる。

2、助走長く取り過ぎ型
 向かうゴールもそこへ至る道も1本しかなく読者にもわかりきっているのに、
 いや、そこへ至る経緯が大事なんだ。
 助走を長く取ったほうがきっと、より高く遠く跳べるんだ、
 言ってることはわかるけど、それにしたって長すぎだよというタイプ。
 「はじめの一歩」ですね。

3、詰め込みすぎ型
 「ワンピース」とか。
 とにかくやりたいことが多すぎて、とりあえず詰め込んでしまう。
 そりゃあ長くなるわ、と理解も出来るが、先の展開がある程度見えてるので話が進まなくてイライラ。
 あと後半息切れすんじゃないかと懸念も少し。

4、今を楽しみ過ぎ型
 作者が今面白いと思ったこと、或いは、今思いついたものをとりあえずやっちゃう。
 作者自身が楽しいので筆が進んじゃって、ってそれは良い事なんだろうが
 作者の面白いと読者の面白いが乖離してる場合はもう目も当てられない事態に陥る。
 そう、これが今の「アカギ」だと推測する。

5、ゴールを遥か高く遠くに設定しすぎ型
 読んで字の如くだが、ゴールを高く遠くに設定したがため
 そこへ至る経緯に膨大な物語を要することになり、
 それによって連載が長期化することで、
 ますますその最終到達点のハードルが上がってしまう、という悪循環。
 「ガラスの仮面」なんかがこれに当たるのではないかと。
 ひょっとしてゴール見えてないんじゃねえ?という懸念もちょっぴり。

6、終わらせどころ見失い型
 超長期連載、「こち亀」や「ゴルゴ13」なんかはもう、
 主人公か作者の死によってしか作品を終わらせられないが、そういうわけにもいかず
 もはや作者も読者も終わりを見失ってしまった。
 「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」みたいに、作者が死んでも作品は生き続けたりする
 リビングデッド的な作品になる恐れもあったりなかったり。
 切ないな。

こんなもんか。

例えばさ、作者は終わりたがってるけど何かしらの横槍で続けることになったとして
つまんなくなっても、話を薄めてでも続けよう、
とか考えて続ける人っていないんじゃないかなぁって。
続けた結果が面白いかつまらないかは結局、結果論でしかないわけだし。
漫画家先生が、面白いと信じたものを描いてると、漫画好きとしては思いたいし
そういうものが読みたいよなっていう希望的観測。

「引き伸ばしだ!」とか言う奴の
「俺は分かってるんだぞ」感と、「楽して稼ごうなんて許さないぞ」感がたまらなく嫌なだけだったりもする。

まぁ、おれが漫画家に幻想抱き過ぎって話もあるんだが。

ぐだぐだとくだらない事を書きました。
偏見ですよ、こんなもの。


先週、更新しなかったのは、先週が私の誕生日だったからです。
ひじょうにあんにゅいな誕生日でした。

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